この日は午後から休みを取ったので、虫の撮影に行こうと思っていたのだ。
そうすると、やはり、雨が降るのだった。
と、いうのは私が雨女だからだ。
ニュージーランドに行った時に、私はロードオブザリング のホビット庄の撮影地であるマタマタに行くのを本当に楽しみにしていたのだが、その日、雨が降った。
いや、偶然だろうと思うだろうが、11月のニュージーランドというのは非常に天気がいい日が多く、降るとしても夕方にスコールのような雨が降るくらいで、「なんっでこの日に限って…」と思いつつ、ツアーはそれなりに楽しかったのだが、やはり天気の良いマタマタを見るのを諦め切れなかった私は、またまた、マタマタへのツアーを予約した(その時はオークランドに4ヶ月ほど滞在していたので)。
ツアーガイドの陽気なおじさんから「あ、君、この前雨だったからまたまた来たんだね。マタマタって日本語でアゲインアゲインって意味なんだよねっ。でも、今日も雨だよ」と言われた。
またまた〜と思うだろうが、その日も雨だったのだ。結局私のアルバムには、雨とモヤに覆われたマタマタの写真しか残っていない。
数年後、大阪に行った時に、天気予報は前日まで晴れだったのに、新幹線で大阪に降り立つと雨だった。
大阪の友達から「あんたがこっちに近づいてくるにつれてどんどん天気悪なったで。さすがやな」と笑顔で言われた。
そういうわけで、挙げればキリがないのだが、実際私だってそんなの迷信というか、偶然だということくらいわかっている。
昔から思うのだが、自分を晴れ女と称するか雨女と称するかはポジティブ思考とネガティブ思考の差なのではないか。
実際、雨女と言っても、イベントの日がそんな100%の確率で、絶対に雨かと言われるとそんなことはありえないし晴れていた日だってあったはずなのに、そういうことは忘れて、雨が降って無念だった思い出だけ抱えてクヨクヨと生きているわけである。
というか、実際天気に影響を受ける人はその地方に何万人もいるであろうに関わらず、自分の行動や思考で、自然現象という未だに人間が太刀打ちできないものをに影響を与えているなどと思っているのだから寧ろ一周回ってポジティブ思考なのかもしれない。
午前中の間に、そのように雨女の思考回路を考察したところで、一向に天気は上がらず、結局、他にすることもなかったので、雨の中、石橋文化センターへ。
もう虫は真剣に探さない限り、ナメクジくらいしかいないだろうから、虫じゃなくて景色を撮ることにした。
こんな時のために(?)水深15メートルまで潜れるtgー6を買ったんじゃないか。雨の中の撮影なんてへっちゃらだぜ。
去年、鳥類センターから寄贈された白鳥がいると聞いていたのだが、この雨ならどこかに隠れていないだろうなあと思っていたら、普通にいた。
よくよく考えてみれば、水鳥なのでこの程度の雨など関係ないのだろう。
人懐っこくて、予想外に接近してきた。写真を撮ろうとするとさらに近づいてくる。
そういえば、私、でかい鳥って怖いんだった、ということを急に思い出す。
その昔、ペリカンのカッタ君というのがいて、とある幼稚園に慰問をしていたんだったかで一躍有名になったのだが、テレビでそれを観て、この幼稚園の園児じゃなくて本当に良かったと思っていたのだ。あんな巨大な鳥、恐ろしすぎる。
こんな注意書きもあるし。
私がビビっていることなどお構いなしに、餌を探す白鳥。ここだけ見ると死んでるみたいで怖い。
私が橋の方へ行ってもなんとなく付いてきている白鳥。
石橋文化センターには何年も来ていなかったのだが、大人になって改めて訪れてみると、本当に手入れの行き届いた美しい日本庭園。
「なんで雨降ったんだよ〜」「晴れてればな〜」とナメクジのようにずるずると庭園を這いずり回っていたのだが(実際に私がナメクジなら、寧ろ雨は歓迎のはず)、なかなか情緒のある写真が撮れたので良かったと思った。
ただ、やはり傘を持って撮影するのが想像以上にしんどかったので、カッパがあるといいと思った。もしくは、特に撮影という目的がなければ、それほどひどい雨じゃなければ雨の中の庭園散策もなかなか良いものですよ。
ということで、勝手に雨の石橋文化センターのPRビデオを作成。
とてもナメクジのように這いずり回っていたとは思えない、ポジティブな感じになっています、と思ったけど、改めて観ると、私の声と音楽と雨の音が相まってちょっと陰気な感じです。
虫食いがあるということは虫がいるはず、と探したが、結局何もいなかった葉っぱ。
後で見返したら唯一この写真の右の方のお花にハエのようなものが止まっていた。