ミナミアオカメムシはボスニア・ヘルツェゴビナの夢を見るか?

ボスニア・ヘルツェゴビナには、「カメムシを家の中で見つけると、その家はまもなく金運を授かる」という言い伝えがあるそうです。

ゴミのことを考えながら散歩をする

いつも会社に行く時に家の近くの喫茶店がすでに営業しているので、ああ、このままここでお茶して帰ってもう一回寝れたらどんなに良いだろう、と思う。

 

確かに、1日くらいだったら会社に嘘をついて休み、お茶飲んで帰ってもう一回寝ても、即、職を失うということはないだろうが、実際それをやったところで、案外小心者の自分は、罪悪感とバレないかという不安に苛まれて少しも楽しむことができないと思われる。

つまり、休みの日に今日は出勤だと思い込んで間違えて家を出て、ああっ今日は休みじゃん、ということにちょうどその喫茶店付近で気づくことができれば最高なのである。

 

しかし、いつも、「アホか、自分は本当にアホなんじゃないか」という勘違いを頻繁にしているにも関わらず、そういう幸せな勘違いに限っては絶対にしないのである。

この前、3ヶ月毎に貰いに行く薬を、まだ3週間くらいしか経ってないのにまた貰いに行ってしまったし(このみちーはーいつかきたみちー感がすごかったので、「もうあれから3ヶ月も経ったのか」と思っていたら、いつか来た道どころか、3週間しか経ってないことに病院を帰る頃気づいた)、

 

あれ、この話書いたっけ?

 

それもわからなくなってしまったし、少し前にコンビニで買ったホットケーキを半分食べて、あと半分は帰ってから食べよ、と思って帰って探したらどこにもないので、次の日会社に行って探して、会社の人にも見かけなかったか聞いて、一日中ホットケーキの事を考えていたのに、後からよくよく考えたら、そうだ、車の中でお腹が空いて食べたんだったわ、ということもあったし、

この前、仕事で100万円越えの海外送金を間違えて2週間も早く送金手続きしてしまったことに気づいて卒倒しそうになったら、さらによくよく考えたら勘違いで、やっぱりその日付の送金で大丈夫だったということもあった。

 

送金遅れよりは良いが、怖すぎる。

 

と、いう感じなのだが、なぜか、「休日を出勤日だと勘違いする」という幸せな勘違いは決して起こらない。せいぜい、目を開けて数秒で気づいて寝る←これも幸せなのだが、1年に一回あるかないか。

 

なので、それは諦めて、とにかく、休日に早く起きて活動してもう一回寝るのだ。

 

気候の良い頃は、結構簡単だったのだが、こう寒くなると私が今起きなくても全世界の誰も困らないという状況でそれを実行するのは大変難しいので、夜のうちにあえてゴミを捨てず、朝、絶対捨てに行かなければならないという状況で自分を追い詰める。

 

だって、その日に捨てなかったら、年末は家にいないから、次に捨てれるのは1月の6日なので、これは絶対起きると確信して寝て、当然目が覚め、空が白みがかる頃、張り切って家を出た。

 

が。

 

肝心のゴミを捨てるのを忘れてたことに、10分くらい経ってから気づいた。

 

いや、まあ、帰ってから捨てれば間に合うのだ。

だけど、問題はそれを覚えていられるのかということで、散歩中ずっとゴミ…ゴミ…と考えてなければならず、せっかくの早朝散歩が台無しだったのである。

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寒椿だなあ…ゴミ

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木のシルエットが綺麗だなあ…ゴミ

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やっと喫茶店についたなあ…ゴミ

※喫茶店の写真は撮ってなかったので、別の写真を代わりに載せています。これはミラノのカフェで飲んだ私の人生史上一番まずかった紅茶の写真です(それらしき画像が他になかったので)。

一体この動物園の味がする紅茶はなんだったのでしょう?

 

 

と、ずっとゴミのことを考え続けていた甲斐があって、なんとか今年のうちにゴミを捨てることが出来たのだった。

 

そんな感じで昨日から9連休が始まったわけなのだが、みんな9連休とかひますぎ、何もすることないわ、と、言うので、私もそんな気になっていたのだが、むっちゃくちゃ忙しく、9連休じゃ足りそうにない。

家の掃除とか、映画とかウォーキングデッド とか、本とか工作とか、溜まりに溜まったレシートをあれしてあれしたりしていたら、体が痛くなるので、外出てちょっと歩こう、とかしていたら、全然時間なんて足りないのに、なんでみんなそんな暇とか言うんだろう。

それに加えて、火曜日から3日間、旅行に行くことにしているので、それまでに大体のことは終わらせておきたいのだ。

 

そして、そうまでしても、なんか、もう色々と見て見ぬふりをして、何も解決しないまま年を越さなければならない、ということがいくつかあり、モヤモヤしつつ、こういうのが人生なんだなあ、と、落とし所がないので、無理矢理締める。